インターネットがなかったら?
多分私は同じことをしていたと思う。
現地で自分の思想や哲学を発表する場をつくる。
きっと詩を書いて、自分の足でカフェやレストランにフライヤーを撒いて、朗読会などを開催していく。
そこで共感してくれる人を集めていって、また面白いことを企画していくだろう。
でも、土地に縛られている活動なので自分と同じエネルギーや情熱を持った人がそんなに簡単に見つかるとは限らない。
情報が伝播していっていずれは隣町の、情熱のある人に届くかもしれないがその分時間はかかる。時間がかかる分、その間どうでもいいノイズ(批判や自分を下げてくる人)に悩まされるかもしれない。そのせいで成長スピードは圧倒的に落ちる。
今はネットのおかげですぐに自分と同じくらい熱心に活動している人やすごいエネルギーを持った人を簡単に見つけられて、簡単にライバルにできて、自分の成長スピードを圧倒的に高められる。
だからネットがある時代とない時代の違いはこの「スピード感」にあるはずだ。そしてそのスピード感の速さゆえ、「ノイズ」も少ない。
こういう時代にキーとなるのは「じゃあなんのためにそんなに成長を急ぐのか?」ということかもしれない。
なんで、私はそこまで生き急いでいるんだろう?
自分に問うてみた。
そんなとき、HIVを抑制するのではなく全滅させることに成功したというニュースが飛び込んできた。
私はそのニュースを見たとき、「これが理由だ」と思った。
今までエイズは不治の病として恐れられてきた。
私の世代だって、エイズにならないようにと性教育を受けたし、一般的には「なってしまったら最後」というイメージのある病だ。
その教育を受けてから10年経たないうちに、今日エイズはもう恐れる必要のない病になってしまう可能性が濃くなった。
こうして世の中の「問題」がまた1つ解決されようとしている。
そうだ、成長スピードを高める理由は、さっさと世の中にある問題を解決していくことにある。
そして、問題を解決した先にあるのは….?
問題のない、ただただ幸せが広がっているユートピアだ。
そんな世の中があるわけない、と今は思うだろう。
むしろそんな世の中はどこか不気味で、すこし恐怖すら感じる。
それは私たちがまだ「問題のない世界」に生きたことがないから当然だ。
高城剛が「30年前はカメラが空を飛ぶなんて誰も信じなかったでしょう。」と言ったことと似ている。しかし、今日ドローンは完全なるHYPEとして社会に浸透し始めている。
「完全にあらゆる問題解決がなされた何もかもが可能な社会」
こんなものが本当に、私の生きているうちに存在しうるのはかわからない。
でも少なくとも、
「問題があっても1年以内に解決するから何かあってもそんなにビビることはない社会」
くらいは自分が生きているうちに見れる気がするのだ。
もっと成長スピードが進めば、その期間が1年から半年、半年から3ヶ月、1ヶ月、1週間、1日、1時間….となるかもしれない。
実際私は、テクノロジーを使って海外に住みながら、過去の自分が抱えていた数よりも圧倒的に少ない「問題」に対処するだけで楽しく生きることができている。
私はそれを素晴らしいことだと思っている。
しかし、人間は複雑な生き物だ。
最近はあえて、「こんな時代だからこそ、”不便さ” を楽しむことがクオリティ・オブ・ライフを高めるのです」というアナログ崇拝者もいる。
アンチ・Kindle、アンチ・デジカメ、アンチ・デジタルイラストレーション、アンチ・デジタル音楽…
あえて、アナログでアコースティックな方法で、不便さも含めて「味」として楽しみましょう、という考え方をする人は多い。
私はそれを悪いことだとはまったく思っていない。むしろ私は写真にかんしてアナログカメラで撮影する方が楽しいと感じているからその気持ちはわかる。私はデジタルで効率化して浮いた時間によって、こうしたアナログな時間を楽しめている。
それこそGoogleが実現しようとしている「マインドフルネス」な社会で享受できる良い点だろう。
しかし、アナログを崇拝する人がもっとも忘れてはいけない点、それは
「あなたが今使ってるアナログカメラは人間の進化によって生まれたものなんですよ」ということだ。
人間が、「問題を解決しよう」という進化する気持ちがなければアナログカメラさえ生まれなかった。
だから、面白い未来が見たければ、人間が進化することを止めてはいけないし、また止めるべきでもないと思う。
時間は未来に向かってしか動かない。
だから、ポジティブに前を向いていくことこそ本当は実の意味で人間らしくオーガニックな行いなのだと私は思う。