どうも、wasabi( wasabi_nomadik)です。
当ブログでもなにかと質問の多い「ビザ」に関して。
実は私、もうドイツに2年半以上住んでいるのについ最近まで半年以上ビザ延長ができずに「仮ビザ」のステータスでドイツに滞在するというなんとも不安定な状態を続けておりました。
ドイツのフリーランスビザについての詳細は以下の記事を読んでいただければ全部説明していますのでここでは詳細を割愛しますが、私は2015年にドイツベルリンにワーホリで入った1年後、ドイツでフリーランサーとして滞在するためにフリーランスビザを申請してさらに1年間の滞在許可を得ました。それが今年の3月に切れたため、フリーランスビザの延長をしました。
しかし、これがなかなかスムーズにいかなかったので、私の経験をシェアしますね。
Contents
1回目:外国人の少ないライプツィヒでのビザ申請
ベルリンのイメージが強いのか、時々驚かれるのですが私は2016年の夏から今年の夏まで実はライプツィヒという街に1年間住んでいました。「なんで?」っていうことの経緯の詳細はこちらの記事を読んでいただくとして。
フリービザが切れたのは私がライプツィヒに滞在している間のことだったので、私はライプツィヒの外国人局で延長の申請をすることに。
ちなみに、私は最初のビザをベルリンで取得しましたがビザ延長はその時点で住んでいる街でする必要があるのでベルリンではなくライプツィヒで行いました。もし同じ状況の方がいれば参考までに。
ちなみにベルリンでビザ申請したのちに他の街へ引っ越すということ自体は問題ありません。(その場合は、税務署の管轄が変わるので引越し先の税務署行って再度フリーランス登録をお忘れなく)
ここで私は普通に予約を取り、必要な書類もすべて揃えて万全の体制で行きました。保険や収入なども、誰がどうみても問題ない条件です。本当に「完璧」に揃えました。
しかし、「これでフリーランサーとして本当に問題がないのかどうか私だけは判断しかねる」という理由でその日はビザがもらえず、3ヶ月の仮ビザを発行されることに。フリーランスビザは審査が必要になる場合があるのですが、それを判断するためにあなたがそこにいるんでしょうと、やや納得のいかない気持ちに(笑)
そこで「私の家賃、保険、収入、支払ってる税金、誰がどう見ても問題ないでしょう?」と反論したのですが「それはそうかもしれないけど、フリーランスの場合はとにかく時間がかかるんです。あなたは海外のクライアントを持っているし。3ヶ月の間に審査結果を送ります。」と言われ、いくら話しても埒があかないのでその日はその言葉を信じて帰宅しました。
2回目:いくら待っても審査結果が来ないので再訪
しかし、仮ビザが切れる目前になってもいっこうに審査結果が届きません。「そんなことだろうなぁ」とはなんとなく感じていましたが、1ヶ月前になっても来ないので担当者にメールしました。しかし返信なし。うん、やっぱり。w
最初は「気楽にいこうや〜」と自分をなだめていましたが、日を追うごとにさすがに「人の人生なんだと思ってんの?」という怒りがふつふつ….
「こちらはずっと待っているのに返信もなく、不安です。そういう無責任なことをされるのは非常にがっかりです。あなたの上司と話したいので繋いでください。」とプッシュしたメールを送ると速攻で返信が帰ってきました。
「すみません、ホリデーに出かけていて返信できませんでした。○月○日に再度外国人局へいらしてください。」との返信。
本当に人の人生なんだと思ってんの(笑)しかしまぁまぁ、「ホリデーで返信できない」はドイツあるあるです。
そこで再訪。しかし、その場で言われたことは「まだ時間がかかりますね〜。また3ヶ月後に来てください。」でした。理由を聞いてもとにかく同じことの繰り返ししか言ってくれず。そして再度3ヶ月の仮ビザ発行。
この時点で私は「この人ら絶対審査してないな」と感じました。なぜなら前回提出した請求書などを再度求められ、実質上手続きが初めからになっていたからです。審査に必要な書類のなかには税理士に約2~3万円くらい支払って作ってもらう資料(直近半年間の収入を証明する収入証明)があり、これを毎回3ヶ月ごとに作るんじゃたまったもんじゃないと思ったので私はこの時点でライプツィヒでの申請を諦めてベルリンに戻ることにしました。
そもそもライプツィヒで1年過ごしてみて、自分はやっぱりベルリンのライフスタイルの方が肌に合っていると感じていたのでライプツィヒでの申請がうまくいったとしてもベルリンに戻るつもりでしたが、これが決め手となってベルリンへリターン。
3回目:ベルリン外国人局での申請がややこしいことに
たまたまご縁があり住宅激選区のベルリンで家を見つけることができ、無事ベルリンへ戻ることができた私。腰を落ち着けてからまた仮ビザが切れるタイミングで今度はベルリンの外国人局へ書類を完璧に揃えて訪問しました。
すると「ライプツィヒで一度申請しているので、連携を取る必要があります。また3ヶ月後に来てください」と言われ、また3ヶ月の仮ビザを発行される流れに。
さすがの私もこの時ばかりは納得がいかず、「あの、3ヶ月後にまた来ないといけないとしたら私は税理士に再度エクストラのお金を払って書類を作らなければならないですよね?何回このためにコストかけてると思ってるんですか?連携ってなんでしょうか?書類も揃ってるし、生活も問題ないことは明らかなのに、どこが具体的に足りないのか教えてもらえますか?」とアツくなってしまいました。
すると外国人局の人は「わかりました。それでは次回は今回使った書類を再度持ってきていただくだけでOKになるようにします。次回は税理士に頼まなくて大丈夫です」とのこと。それでも納得がいかないですが、ライプツィヒで一度申請してしまっていることが事態をややこしくしているのかな?と感じたので、それで一応納得することにしてその場はまた仮ビザの発行となりました。
4回目:再訪、「税理士の書類が足りません」
前回の訪問時に、「税理士に頼まなくて良い」と言われたので、私は言われたとおりに前回使用したものと同じ書類を持って行きました。
ドアを開けた瞬間からなんか嫌な予感を感じていましたが….
「収入証明が最新のものではないので、これではダメです」
おおおおーい!!
「前回それは必要ないということで話をしました。だから今回持ってきていないのですが?」
しかし「ダメなものはダメです。」の一点張り。
「あなたじゃ埒があかないので、上司呼んでください」と言いましたが、
「ダメなものはダメです。」そう言って彼は再度仮ビザを発行しました。
もうこの時点で私の怒りはマックスに到達していましたが、同時にとあることに気づきました。それは私は毎回一人で外国人局に行っていたので、まともに取り合ってもらえていないのではないか?ということです。
一人でビザ申請に行ったら何回もはねられたのに、とある日ドイツ人を連れて行ったら一発であっさり取れた。という話は日本人からよく聞いていました。
そこで私は最近外国人のビザ取得や同行をサポートするビジネスを始めたというドイツ人を紹介してもらい、彼にお願いすることに。彼もそのことを認めていて、「そういう話はよく聞くし、外国人局は絶対ドイツ人の付き添いがあったほうがいい。だからサポートを始めたんだ」とのこと。じゃ、お願いしますねーということで3ヶ月後についてきてもらうことになりました。
これが後にとんでもない結果で裏切られることになるのですが….
そして私はこの時点で仮ビザ(3ヶ月x4)で1年間滞在することが決定しました。笑
5回目:絶体絶命!?ビザサポートのドイツ人が…。
そして満を持しての5回目。さすがに今回は決めたい。というか決めないとさすがにヤバイ!「ベルリンのwasabi」なのにベルリンでビザ取れないとか、ブランディングとかビジネス的にもあってはならない事態でしょ…という思いも正直ありました。
今回は税理士に書類もばっちり頼み、すべてを再度完璧に揃えて行きました。今回はドイツ人もいるし、絶対行ける!!
朝からやる気満々で、いざ外国人局へ向かおうとしたそのとき、同行をお願いしていたドイツ人からメールが一通。
「ごめんなさい、数時間前に祖母が亡くなって朝一のフライトでミュンヘンに向かわなくてはならなくなってしまいました」
….。
wasabi、号泣。
「そっか、期待しないことが大事なんだ」
これだけビザ申請がうまくいかないことが続いたあと、私はふとそう思いました。
私はビザ申請のこのすべてのプロセスで、とても苦しい思いをたくさんしてきました。それは外国人局の対応が悪いことも大きな理由ですが、そもそも私が過度に「期待」していたからなんですね。
「こんだけドイツに税金払ってて、ドイツ語も習得して時間も金も投資したんだからビザが取れなければおかしい」と自分で勝手にハードルあげて自分を苦しめていたことに気づいたんです。
それに気づいたとき、いろんな気持ちから解放されました。つまり、なにもかも結局は一人で、自分でどうにかしなければいけないということです。どうにかならなければ、どうにかならないことを一人で引き受ける。人生、それしかないんすよ結局。
そんなことを考えていると外国人局に向かうまでの道、「もし今回も意味不明な理由で却下されるのであれば、もうタックスヘイブンの国に法人でも作って政府とかいろんな制度の穴をかいくぐりながら生きていくか。」という結論に至り、するとめちゃめちゃ心が穏やかになりました。笑
そして外国人局に着くと、そこには長蛇の列が。
朝から寒い中、外国人がビザ申請のためにたくさん集まっていました。
並んでいるのは予約がない人たちです。この極寒の中、我よ我よと列に割り込んでいく人たちが多発してケンカが勃発。叫び声が飛び交っていました。
私はすでに予約を持っていたので並ぶ必要がないのですが、野次馬心でその様子を見るために列の前方に割り入ってみることに。
その様子もなかなかカオスでしたが、ビザ申請までの道のりで「ビザが取れなかったらタックスヘイブンで法人を作る」という結論が出ていた私はその様子さえ鳥のさえずりくらい穏やかに流れる日常の一部と化している気分で見つめていました。
それでも、気持ちはまだ張り詰めていて一本の細い糸でどうにか保っているような状態。5回目のビザ申請、投資した金と時間、ドイツ人の当日欠席…あらゆることで私はもう疲れ切っていたのです。
放心しながらケンカをぼーっと見ていると、横にいたインド人2人がニコニコしながら話しかけてきました。
「あんなケンカしちゃって、みんなもっと落ち着こうぜ。なぁ?列にちゃんと並ばないとね。」
「はは、本当だよね。みんな予約がないから。」
「俺たちも予約がないけどね。ところで君どこ出身?」
….
ひょんなことから世間話が始まりました。私も寒いし暇だったので付き合うことに。仕事は何しているか〜だの、ファミリーはどこに住んでいるのか〜だの、何年ベルリンに住んでいるのか〜だの。なんてことはない、ただの世間話です。
そしてしばらく話し込むうち、ビザの話になりました。
聞くと彼らはレストランで働いていて、新しいお店と契約を結んだのでビザの更新に来たようでした。レストランで働いている彼らもビザの更新は難しいらしく、何回も来ていると話してくれました。
「みんな、大変なんだなぁ。」
そんな彼らの苦労話を聞いて、私も思わず「もうビザ申請4回来ているけど、まだ取れない」と、彼らに打ち明けてみたんです。その時の私は「かわいそうな私に同情して欲しかった」のです。
しかし彼らの反応は私の想像の斜め上を超えてきました。
「はっはっは!NO VISA YET!! (まだビザなし)」
ガツーンと頭を殴られたような衝撃と、その衝撃の落とし所がないポカーンとした感覚に包まれました。私は「かわいそうだね、わかるよ、大変だね」という反応を期待していたからです。
でも、そんな苦労も彼らはジョークにしてしまっている。
彼らには、すごい余裕があります。祖国のインドを出て、今まで日本やイタリアで働き、今はドイツのレストランで移民として働いている彼ら。私以上にいろんな大変なことがあったに違いないです。
しかしそんな彼らを見て「ビザが取れない」なんて根本的に大した問題じゃないと思えたのです。
私はまったく冗談を言ったつもりもなかったのですが、彼らは私をなぜか「面白いこと言う人」と認定したらしく、外国人局の扉が開いてからダッシュで1番乗りで面接の順番を勝ち取ったのに、私を列に入れてくれようとしました。そんな彼らの底なしの余裕に、すごくすごく救われました。
私は「ドイツで頑張る」と決めていたので絶対にビザが欲しかったし、取れないという状況が自分に起きたときに自分の全ビジネスが停止することをものすごく恐れていたのです。その恐れにとらわれて、そしてうまくいかない状況に左右されて、並行しながら日々の業務に忙殺されて余裕なんてなくなっていました。そのことを彼らの余裕に触れてすごく痛感させられました。
そんな風に自分の日頃の考え方や生き方にまで思いを馳せました。
クライアントや自分のスタッフへの態度、友達や自分自身に対する考え方。
「私はいろいろと期待しすぎていたんだなぁ。それで自分もまわりも、苦しめていないか?」
待合室に行くと、すぐに私の番号が呼ばれました。
部屋に入ると、なぜか良い予感と静かな空気が流れていました。
私もその時、もう良い意味でなにも期待しておらず、いつもの緊張もなくただただ穏やかな気持ちでした。
「なるようにしかならない」
しかしこれは諦めの気持ちではありません。こう思えるのは私にその時絶対的な自信があったからです。それは「ビザが取れる」という自信ではありません。
「人生どうにかなるから、何があっても大丈夫」
というもっと大きな自信です。
私はいつも外国人局でピリピリしていたと思います。自分の中で「こうでなければならない」と決めつけていたから、そのように進まないとイライラしてしまうからです。私の欲しい回答が返ってこないとイライラ、説明してくれないとイライラ。
ドイツに移住してくる方は、いろんな思いを持ってこの国にやってくることでしょう。私のところにもたくさんのメッセージが届きます。会社をやめて海外フリーランス、子育てのため、異国で人生を再スタートするため、思い描いていた人生を実現するため….
それを叶えるために「こうでなければならない」を思い描きがちで、それに固執してしまいがちです。その気持ちは私の上記の経験からもよーくわかります。
でも、外国に住むことって根本的に「こうでなければならない」を手放すプロセスなのかなって。ビザ申請もそのことを試されるときなのかもしれない。だから、これから外国で住む方はどうぞ気楽に望んでみてくださいね。
席に着くとその日私は用意してきた書類を半分しか要求されませんでした。
「ビッテ・シェン」
キーボードの音だけがカタカタと鳴り響く静まりかえった室内で、担当官はそう言って静かに私の前にビザを出しました。
「ダンケ・シェン」
ドイツフリーランスビザ、申請に1番重要だったことは「手放す」ことだったように思います。力を抜いて、冗談でも言いながら楽しむこと。
3年間の滞在許可が書かれたビザを手にして外国人局をあとにすると、さっきまで灰色だった空が心なしか、少しだけ青く透き通っていたのでした。
初めまして❕
9月までカナダに一年ワーホリしていたものです❕ カナダにいる時にワサビさんの動画を見つけその時からいつも拝見させていただいてました❕
“「こうでなければならない」を手放すということ “ すごく共感できました そして様々な文化の違いに憤りを覚えたことも思い出し(笑)何だか今回の記事を読みカナダにいる時の心情がとても蘇ってきました 笑
必ずしも “こうでなければならない” と考える必要はないと自分も学んだはずですが、少し元に戻りかけてしまっているところもあることに気づかされました
こういった問題は難しいですね 今回の記事は特にとても考えさせられました ありがとうございます。
素晴らしい(笑)
良い経験ですね。
何度も似たような経験ありますが今でも繰り返し同じ失敗することありますよ。(笑)
でも依然と比べてそういう自分に気ずくのが早くなりましたけどね~
海外なんて一度も行ったこと無いし今は日本語以外分からない状態ですが僕もあと一年ちょっと日本で頑張ったらヨーロッパ移住に挑戦します。(相当苦労しますねきっと笑)
たまに訪れて記事を読む程度ですけど人生おもいっきり楽しんでくださいね。
また!