「国際人とはなにか?」と聞いてきた妹にドイツ在住の私が返した回答

国際人
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どうも、wasabi( wasabi_nomadik)です。

 

なぜか一人っ子に間違えられることが多い私ですが、実は下に妹と上に兄がいます。

 

兄弟のうち、妹は現在大学生なのですが、この前妹の学校の授業で「国際人とは何か」というのをインタビューする課題があったようで、一応海外に住んでいて”国際人” ってことになってるらしい私にその回答を求めてきました。

 

LINE会話

 

そこで私が出した答えは「人の気持ちがわかる人」でした。

 

LINE会話その2

明らかに深みを含んでいる一文名回答だし(自分で言うな)、私の予定ではこのあとすぐに「どういう意味!?」と妹から興味津々な返信が来ることを期待し、長文でその真意を説教たれる予定だったのですが、うちの妹は「おけ!あざー!す!」とだけ軽く礼を言って去って行きました。

 

この「課題でテキトーにやってる感」。なんとも懐かしい大学生活の空気を思い出します。わかるわかる、課題だからやっているだけだもんね。姉の説教なんてどうでもいいよね!

 

話がずれましたが、その行き場を失った私の説教のはけ口はこのブログに行き着きます。(笑)

 

すみませんが、異文化理解に興味のある人はちょっと付き合ってください。

 

 

そもそも「国際人」という言葉が超絶国際的じゃない

私が声を大にして言いたいこと、それは「もはや国際人なんてことを意識しないレベルまでどんな国の人とも関われてこそ、国際人」なのだと思っています。なんだか、逆説的ですが。

 

国際人って言葉自体、他国との接触が少ない日本だからこそ意識されやすい言葉なのだと思っています。

 

実際、ドイツに住みながらいろんな国へ行っている私は外国の人と関わるときに自分が国際人かどうかなんて意識もしていませんし、そのときに存在するのは人と人としての一対一の関係のみです。

 

国際人たるべきものこういうことを言うべきではない…

国際人として相手の文化を尊重しなければ…

国際人としての最低のマナーとして…

 

なんてことは一切考えません。だから、ときには相手の文化的な背景のことを知らずに失礼なことを言ってしまうことだってありますし、知っていてもあえて「あなたの自国の文化について”あなたは” どう思うのか?」を聞くことがあります。

 

たとえばイスラム教の女性と話すとき、私は女性が「ボーイフレンド」を持つという文化が一般的ではなく女性は結婚するまで男性と関係を持たないということを知識として知っています。なにかと男性優位の社会で女性は自由がないということも知識としては知っています。

 

そういう知識があったら「ボーイフレンドという考え方についてどう思う?」とか「あなたの好みの男性のタイプは?」とか「女性の自由度についてこう報道されているけどどう思うか?」と聞くのは失礼と考えるかもしれません。でも、私はあえて聞きます。

 

それはなぜか?

一対一で人として話してみるとわかるのですが、その人が必ずしも自国の文化と同じ価値観を持っているとは限らないからです。

 

もちろんある程度仲良くなってからというのが前提ですが、そうやってあえてぶっこんで聞いてみると、いろいろ説明してくれます。

 

「一応うちの文化ではボーイフレンドは持ってはいけないけど、そうしていない人もいるし彼氏がいる友達もいる。」とか、「私は自分の旦那さんをもちろん愛しているけど最近は韓流ドラマの〇〇が本当にかっこよくてハマってる。」とか「イスラム教では旦那の方が偉いけど、今私たちはドイツにいるんだから男女平等ってことで好きにやらせてもらうわ。ねっ、アンタ!(横にいる旦那に向かって)」などなど個別のケースのリアルな話が聞けます。

 

そういう話を聞いたとき、私は相手に対して親近感が湧いて相手のことをちょっと理解できたかな?という気持ちになります。

 

国際人は「異文化を理解できること」だと思われているけれど、その理解ってしょせん自分の持っている基準を通してでしか理解できないと思うんです。

 

そう考えるようになったのは自分の経験もありますが、この本を読んで以来さらに「ああ!」と腑に落ちました。

 

 

 

だから私は自分の持っている価値観に照らし合わせるために、自分の持っている価値観で相手に歩み寄って話を聞きます。

 

だって相手のことを本当に理解したいから。

 

逆に、ドイツ人に日本の文化のことを聞かれたら、私は”自分がどう思っているか”をちゃんと説明します。

 

「日本ではクジラを食べるって言われているけど、君は食べたことあるの?」と聞かれたら、「私は食べたことがないし、私はそもそもベジタリアンなので肉は食べないが、事実として日本にはクジラを食べる地域もあるらしい。」ということを説明します。

 

ここで、「僕/私はクジラを食べるなんてヒドイと思う、だって〇〇で〇〇で…」と語ってくる人がいるのですが、私は特に何も思いません。だって「クジラを食べる文化」は日本のとある地域の文化であって私個人の文化ではないからです。ああ、でもあなたはそのトピックについてそう思うんだね、なるほど。で、終わり。

 

もはや、肉を一切食べない身からすると、牛とか豚を食べている人にそれを語られたところで…Huh? っていう感じなので、「豚や牛を食べるなんて、君らドイツ人!Du Deutsch!」と言うと、たいてい議論にならず冗談になって終わるのですが。(笑)

 

ただ、「どう思う?」って私に聞いてきたのは、私の意見が気になるからじゃなくて結局あんたが自分の意見を語りたいためだったんか〜いとは思いますが(笑)

 

まぁなので私はそういうことは他人にしないようにしようって、反面教師にしていますし、だからこそ異なる文化背景を持つ人たちと関わる時に大事なことは、その人の「国の文化」ではなくて、その人自身がどんな「自分文化」を持っているか、そこに着目してそこで語り合えるようになることなのではないか?と思うのです。

 

あえて「察しない」ことが大事

妹には「人の気持ちがわかる人」と言いましたが、それは人の気持ちを「察する」という意味ではありません。むしろ「察しない」方が大事だと思います。なぜならそれは相手のことをわかった気になる「誤解」と紙一重だからです。

 

私が言う「人の気持ちがわかる」とはズバリ、その人個人がものごとに対して「どんな感じ方をするのか」を理解することです。

 

それを「価値観の共有」、と言いたいところですが、宗教やその人の生きてきた世界観を超えたもっとその先にあるミニマムな「感じ方(Feeling)」を理解する方が大事なんじゃないかなって思っています。

 

私はそうやって「個人の文化」を認めあえた上でこそ、お互いの「国の文化」について建設的な話ができると思っています。

 

 

そのためには、自分が想像できる範囲の自分の基準に即した形であらゆることをぶっこみ質問し、自分の中に落とし込んで理解していくしかないと思うのです。それはわざと失礼な態度を取ればいいというわけではもちろんないですが、「失礼にならないこと」がコミュニケーションの上で最重要だと考えているのはそれこそ日本的な考え方かもしれません。

 

その過程でムッとされることもあるかもしれないし、ケンカもあるかもしれない。

 

でも、そうして自分の考え方と共通する部分を少しずつ発見していくうちに、自分とはまったく違う世界観や価値観が存在するということも自然と受け入れられるようになるのかな?と思います。

 

これは私がドイツを始め、いろんな場所に住んで感じたことです。

もちろん違う意見を持っている人もいると思いますし、それでいいと思います。

 

でも、軋轢のないスマートなコミュニケーションなんて存在しないし、それは目指すべきところでもないんだよってことを言いたいです。日本の”国際人教育”とか英語教育って、どうもそういう側面が強い気がするので…

 

LINE会話3

以上、姉が伝えたかったことでした(笑)

 

みなさんはどう思いますか?

「国際人」とはなにか、ぜひ意見を聞かせてください!

 


【[email protected]!】

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Photo by Nao Takeda 

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