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1991年7月1日 東京都葛飾区に生まれる

私と富士山
そしてすぐここまで成長(なわけない)

保育園時代

わさび幼少期

とにかく保育園が大嫌いな子供で、先生にも親にも反抗ばかりしていました。

自分でも、言うことを聞いた記憶がないくらいとにかく反抗していました(笑)

 

お昼寝の時間も「なんで言われた通りに寝なきゃならんのだ」と思って寝たことがありません。

その間何をしていたかと言うと、その怒りを園庭にある家の遊具を力づくでひっくり返して暴れていました(笑)

 

とある日は男の子をぶん殴って問題になったり、先生に暴言を吐いて問題になったり、気にくわない奴がいたら教室でものを投げて暴れたり、決められたお遊戯やアクティビティに参加しなかったり…ただただ暴れていた思い出しか残っていません(笑)

 

とにかく、「どうして意味もなく毎日保育園に行かなきゃならんのだろう?」ということだけが疑問で、誰もそれに答えてくれないのにムカついていたのだと思います。

 

泣くwasabi
常に怒り狂っていた思い出が鮮明に残ってます(笑)

 

「どうして保育園では勉強をしないの?」と先生に聞いても「保育園はそういう場所じゃないからだよ。」と言われても納得がいかず、さらに暴れる日々(笑)

 

だから、保育園の最終年で「ひらがな」のテキストをすすめていいよと言われたときはとても嬉しかったです。

 

生意気なwasabi
クソ生意気な子供でした。

 

自分的に1番面白い保育園のエピソードは、運動会のかけっこで「よーいどん!」のスタートを切って全速力で園庭のコースを走り、カーブを曲がったところでそのまま門に一直線して保育園から脱走したことです(笑)

 

親も先生も大変だったでしょうねぇ…すいません、今更。

 

小学校時代

保育園で「ひらがな」をすでにマスターしていたので小学校入学時点で成績が良く、とても褒めて伸ばしてくれる先生が担任になったので保育園時代の反抗心は純粋に学校で学ぶ楽しさに昇華され、楽しく過ごしていました。

 

しかし小学校中学年は無意味にスパルタな教育をする先生にあたってしまい、ウマが合わず学校がつまらなくなります。しかしそこで私を救ったのは「お笑い」でした。

 

クラスメートの面白い男の子(上田君か土田君か忘れてしまったのですが)と仲良くなって「お笑い係」を結成します。そのときのクラスの先生が「いきもの係みたいな普通の係じゃない変わった係が欲しいな〜」というので私たちが提案したのです。

 

お笑い係の仕事内容、それは朝礼時に一発ギャグを披露して皆を笑わせるというものです。

(しょうもねぇ)

 

教室

 

もともと目立つのが大好きだったので、人前で変なことをするのはとても楽しくて皆も笑ってくれるしかなりやりがいがありました。

 

その上田君だか土田君とはいつもどちらがもっと自分を捨てておもしろいことができるかで競っていて、良きライバルでもあり、私の初恋相手でもありました(笑)

 

しかし、コンビでやっている以上、私はお笑い係の重要なキーパーソン。

恋か、お笑いか。

最終的に私は、告白をすることなくプロのお笑い係としての道を選んだのでした。←

 

そんな感じで「理解者」がいた小学校中学年でしたが、高学年のクラス替えと同時にお笑い係は解散します。とても悲しかったです。

 

その後、私はクラス替えで一緒になった暴れん坊の男の子たちと度々ケンカするようになります。

私の存在が気にくわないらしく、なにかといじわるをしてきたり、暴言を言ってきたり、叩いてきたりするので叩き返して殴り合いに発展、という感じです(笑)

 

でもやっぱり男に力で勝つのは難しく、そのやりきれなさを解消するためにその男たちの机や椅子を窓から投げてました。(笑)そしてまた男の子たちは私に怒り狂い、暴力でいじめられるという悪循環。

 

イラつきすぎて国語の授業の原稿用紙に「死」の文字だけを書き綴って提出したこともあります。(笑)完全にヤバイ奴ですね。

 

今だからこんな話も笑えますが、小学校高学年の男の子に殴られるのはけっこう力も強いし精神的・肉体的ダメージがすごいものです。先生にも相談したのですが、その先生は長いものには巻かれろ的な精神の人で、役立たずで何もしてくれなかったので私は登校拒否になります。

 

そうやって先生の管理能力を問われる「問題沙汰」を起こすと、先生や校長先生など大人たちはやっと動き、その男の子たちはこっぴどく怒られ、うちに謝りに来て一件落着しましたが、このときから「なにか問題があっても、それを解決できるのは自分しかいないんだな」と思うようになりました。

 

勉強

 

ちょうど小学校高学年くらいから公文(KUMON)で英語を勉強し始めたのですが、このときの私を支えてくれていたのは紛れもなく「英語学習」だったと思います。他のことがどうでもよくなるくらいかなりのめり込んで熱中できるものがあったからこそ、そのまま不登校にならず卒業もできたのだと思います。

 

公文ではおばあちゃんから小学1年生まで高度なレベルの英語を勉強している人がいて、私のライバルは小1で高校英語をやっている女の子でした。かなりモチベーショナルな環境で先生も私の最高の理解者でした。

 

とある日、公文の学習者向けの作文コンクールで日頃感じていた公文の素晴らしさを書いたところ、なんと私の作文が選ばれて全国の新聞広告に掲載されることに。その流れで「くもん進度上位者の集い」という公文で実際の学年より上のレベルの教材を勉強している人たちを表彰する会でその作文を読むことに。

 

何百人もの前で作文を読むのは緊張しましたが、思えばこの時から「ライティング+パブリックスピーキング」の面白さのトリコになっていたのかもしれません。

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